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執筆者の写真OUR VOICE OUR TURN JAPAN

あわぼCafe~児相について語ろう!~

更新日:2019年1月4日

2018/11/10 あわぼCafé-児相について語ろう― 主催: OUR VOICE OUR TURN JAPAN

日時: 2018年11月10日 14:00~16:30

場所: ボーダレスジャパン株式会社10階

◆はじめに  こんにちは。本日は司会を務めさせていただきます、ワトソンです。OVOTJ第2期のユースリーダーをしております。今日はOUR VOICE OUR TURN JAPANのカフェ、あわぼCafeを開催します!


毎回テーマを決めて、それについてみんなで語り合おうという会です。

今日はその第1回目です。今日のテーマは「児相について語ろう!」です。

今日はゲストとして一時保護経験者の弥生さんと、実際に児童相談所で働かれている保科さんにおこしいただきました。児童相談所はどんなところなのか、経験者側からと職員側から、色々なお話を聴いていきます。

 

 

 

◆ 児相相談所ってどんなところ?

菊池)今日はファシリテーターを務めさせていただきます、菊池真梨香です。

 

 私は都内の児童養護施設で住み込みで働いていました。今は施設や里親家庭を巣立った18歳以降の若者をサポートする活動をしています。  

 初めに私から児童相談所(以下、児相)ついて少しお話をします。「児相」という言葉を私たちが耳にするのは、ニュースで虐待死事件なんかが取り上げられた時が多いのではないでしょうか。最近では、目黒の結愛ちゃん事件や、児相の新設反対のことなどが取り上げられていますよね。

 私個人としては「児相」という言葉に全然なじみのない生活をしてきたなと思います。「児相」を身近に感じるようになったのは、児童養護施設で働き始めてからでした。

 

 児童養護施設にいる子どもたちは「僕は○○児相」、「私は△△児相」というように自分の所属児相を言うんです。

 

 多くの子どもたちは児相を利用することのない、すなわち児相を知らないまま育っていきますが、ここにいる子どもたちは「児相」を通してここにきている。私が知らない色んな経験をしてきている。私が幼い頃に使ったことのない用語を使っている。そういう言葉が日常用語として使われるこの児童養護というフィールドを知って不思議な気持ちを覚えたのをよく覚えています。

 さて、児童相談所はどういうところかというと、児童相談所運営指針には次のようなことが書いてあります。

 

 

 児童相談所は、市町村と適切な役割分担・連携を図りつつ、子どもに関する家庭その他からの相談に応じ、子どもが有する問題又は子どもの真のニ-ズ、子どもの置かれた環境の状況等を的確に捉え、個々の子どもや家庭に最も効果的な援助を行い、もって子どもの福祉を図るとともに、その権利を擁護することを主たる目的として都道府県、指定都市及び児童相談所設置市に設置される行政機関である。 (児童相談所運営指針 冒頭)

 

 児童相談所は非行や障害など様々な「子どものことについての相談」を受ける場所ですが、現在はほぼ虐待対応に追われています。

 虐待に関していうと、たいてい近隣や警察・学校などからの通告によって、児相に連絡がいきます。そして、子どもに保護が必要だと判断されると一時保護所に保護されます。

 


 

 ここから一時保護所から家庭に帰る子が多数ですが、親と過ごすのは難しいと判断されると公的保護として児童養護施設や里親のもとへいく。これが社会的養護のシステムです。

 しかし、実際社会的養護になる子どもたちというのは保護された全体の4分の1ほどで、大半は家庭に戻っていきます。家庭に帰れるように関係調整されて帰っていくのですが、一度は保護された家庭。その後も困難を抱えていくケースは多くあります。

 児相は全国に現在210か所で、一時保護所は136か所。

 

 

 

 

 一時保護所とは、保護されてまず行く場所。保護の入り口です。家庭から離れてどうなるかの入り口で分岐点である場所です。

 児相で働く児童福祉司さんは自分の担当ケースを100件抱えていて、一時保護所も満杯な状況があるとよくいわれます。首都圏を中心にそういった傾向が多いです。

 しかし、今は、「よくしていこう!」という動きがあって、2016年児童福祉法改正で、児童心理司・医師・保健師・スーパーバイザーも増やして、児童福祉司も研修が必須で、弁護士も配置されるようになっています。児相も東京で増えていく予定で、練馬以外の22区に設置される予定です。福祉司の人数も増えていくという流れの中に今私たちはいます。


 

 

 最近、某区で児相を新設プロジェクトに関わる方々と情報交換する機会がありましたが「当事者の声をたくさん聴きたい」という声があった。皆さんも聞きたいと思っているんだと感じました。私たちも、子ども・ユースのこえが届けられて良い児相が作れるように参与できればと思います。子どものための相談所、子どもに最善が尽くされる場所であってほしいと思います。この動きの中でユースたちの声を届けていきたいです。

 これから対談に入っていきますが、これからのお話は一つの声として受け取ってほしいと思います。みんなが同じ体験をしているわけではなく、一人一人違うので、一つの話として思って聴いていただければと思います。

 

 また、私たちは批判することを目的としてはいなくて、何をどうしたら良くなるかを建設的に考えることを目的としています。当事者も支援者も、一緒に児童養護界をよくしていく。相手の意見も尊重して、否定せず対話することを大切にしています。

 

◆対談タイム

 

 

菊池)まず最初に、自己紹介をお願いします。

 

弥生さん)弥生と申します。24歳です。今は、私は生い立ちの中で、行きたかった学校に進学できなかったので、春まで会社勤めでしたが、新卒の会社がブラックで一年未満で退社して、フリーターをしています。お金をためて進学したいと思い活動中です。

保科さん)川崎市の中央児童相談所(子ども家庭センター)という所から来ました。27歳で川崎市に入庁して、知的障害児の入所施設(現在でいう児童心理治療施設)で働いたあと、児童相談所勤務になり、かれこれ15年です。

 

初めて児相が関わったときはどんなことを覚えていますか?

弥)私が関わっていたのはA児童相談所でした。うちからはちょっと遠く、それが私の住まいを管轄する児相でした。

 

 中学2年のころに初めて児童相談所と関わり、児相が学校に来たり、私の方から児相行くこともありました。駅から離れた公園の奥の奥に隠されたような場所へ、一人で行かないといけない場合もあり大変でした。

児童相談所と関わることになったきっかけを話せる範囲で教えてもらえますか?

弥)うすうす、みんなの家と私の家は違うのかもと思っていたんですが・・・

 

私はあざだらけでしたので、「通報すべきだよ」と友人に言われたり、学校のスクールカウンセラーが児相を呼んでくれたのかなと思います。

 


 

 それで来てもらって、カウンセリングをしてもらうようになりますが・・・私はあれをカウンセリングと呼びたくないなと思います。新卒の、児相の仕事をしたくてやってるわけじゃなさそうなお姉さんのための研修に使われたりしました。年配の方が研修生に解説するやりとりをみせられながらのカウンセリングで。

 

「いつ暴力を受けた?」と聞かれたり、私が「こんな気持ちになって・・・」というと、「それは事実じゃないからいりません」「事実だけ話せ」と言われました。

菊)なるほど。学校のスクールカウンセラーさんを通して児相職員がきたという感じだったんですね。

弥)はい。でも、スクールカウンセラーは退席させられて、児相職員だけの部屋になりました。いやな思いをしたから・・・他の大人にもこのやりとりをみてほしかった。密室だった。

菊)そうだったんですね。それでそのまま保護になったのですか?

 

弥)いいえ。その時は保護されませんでした。私が保護をされたのは、児相経由ではなくて、警察署経由でした。児相でのやりとりからは保護されていないんです。

 

 児相とのやり取りではむしろ、私は死なないと虐待として扱ってもらえないのかと思った。私も私で児相に来てもらっていることはオーバーなんじゃないかと自分でも思っていました。

 

 辛かったけど保護される感じもないし、虐待されている感じとも受け止めてもらっていなくて、軽んじられているなと思って、自分でも「虐待じゃないのかな、これは言っちゃいけないのかな」と思うようになっていました。

  菊)保護されなかった時は、どういう話にまとまったのですか?  

弥)会うたびに、「あなたが生意気だから」「愛される努力がないから」と説教されました。

 

 両親を交えての面談もしたけど、親の肩を持つというか、「良い親御さんだったじゃない」と親の態度を信じ込んで、「あなたが勉強しないから暴力振るわれる。帰ったら何時間も勉強しないと、家事をしなさいと、人は変えられないから。」と言われました。

菊)なるほど・・・そうだったのですね。一時保護は警察を通してということでしたが、それはいつのことでしたか?

弥)高校1年生のとき。保護されたのは、両親と旅行に行った帰りに車の中で暴行を受けて。

 

 中学2年のころから「次暴力されたら保護してもらう」と心の中で毎回思っていたけど、受験の事や中学校の友人と離れ離れになること、生活が変わることが怖くて、保護してくださいとは言えなかった

 

 「あなたが保護されたいならする」と言われたけど「保護されたい」とは私からはいえませんでした

 

 「次暴力されたら警察に通報しよう」ということが何回も続きました。結局旅行の帰りに暴力を受けて、足に顔くらいのあざができて、友人の家に家出しました。家出された側も困って、警察に連絡をしようということなって、警察にいくと事情聴取がありました。夜中11時くらいに車にのって、深夜にA市の一時保護所に着きました。

  菊)保護は全部で何日くらいでしたか?

 

弥生さん)A市では2日間。でもそこが満員で、違う保護所に移動して、それが5日間あった。計7日間の保護。

 

 警察に行ったときから、お風呂に入ってなくて、それから最後の日までずっとお風呂入れなかった。体がかゆかった。

  菊)そうだったのですね・・・。

 

何か児相からの視点での見立てはありますか?

保)「これだけのSOSがあったのに」、なんでその時に本当に大人がきけなかったのかと、今になってしか言えないのが非常に切ないですよね。。

 

菊)実際に学校で通告もあると思いますが、保科さんの児相だと、どういう体制で受けますか?

  保)絶対ということはいえないけれども、女の子の体にあざがあってというところでは、保護前提で向かうんだろうなと思います。

 

 もし、本人が嫌がっても子どもを守るためには連れていかないといけないときもあるし、そうじゃなくてもいったん避難して翼を休めて親と話すからという意味での保護としても十分考えられる事案かなと思います。

  菊)私も児相に関わることがありますが、本当に弥生さんのようなケースですと保護前提事案なのかなと思います。児相間にも温度差がありますよね。地域でも差があったりするのかなと。

 

リスクアセスメントシートとは?

 

菊)児相では「リスクアセスメントシート」というものを使っていますが、それは児相によって違いますか?

保)ある程度厚生省では出していますが、それぞれの地域の特殊性もあるので、それぞれがカスタマイズして使っているかと思います。

菊)「リスクアセスメントシート」とはそのケースの重症度と緊急度を決めるシートです。福祉司によって個人差がでないように、ケースを客観的に見立てられるために用いられています。それも各自治体で違うのですね。

 

弥生さんのケースだとどれくらいの事案に当たりますかね?

 

 

保)うちの場合は重症度が5段階であって、緊急のリスクがA~Dになっています。「体に見える傷がある」とか「自殺を親がほのめかしている」とかかから「なんとなく周囲が気になる」までグラデーションはあるけど、今傷があるのなら重症度は4,3くらいに位置づけられて、緊急度は保護前提のAとして考えるというところです。

   本人が学校来ているし、友達と話していて、帰りたがらないわけじゃないので、様子見というのもある場合はあるけど、私たちとしてはリスクはA判断かなと。両方高いから、必ず保護というわけじゃないですが。こういうアセスメントツールを使っています。区役所や学校も、こういうのを目印にしています。

  菊)虐待は、身体的、心理的、ネグレクト、性的虐待の4つのカテゴリに分けられ、そのカテゴリをベースに重症度を測りますよね。

 

 弥生さんは、中2から高1までタイムラグがありますが、そこでついに保護されることになったのですね。

 

一時保護所での生活はどうでしたか?

弥)入ってからはまず、決まりごとの説明をされて、一時保護所で経験したことは外で情報を漏らしてはいけないという書類にサインさせられました。脱走する人がいるが警察を呼ぶという説明を受けました。一時保護所内は私語厳禁という張り紙がしてあり、些細なことで怒鳴られ、「ここにいる子どもと口をきいちゃいけない」という約束をさせられました。

 A市の保護所は個室じゃなかったような。大部屋に布団があって、性別は分けられて、雑魚寝していたかなと。移動先の保護所は、6畳に5,6人年齢もバラバラで、小学校低学年から中学生もいて、私も高校生で同い年がいなかった。私は年長だった。その部屋で着替えたり生活をする。

 服をはじめとした私物は取られて、ケータイも財布も没収で、ぼろい服をこういう組み合わせで着てくださいと言われて、他の子から「ださい」と言われたり。下着も番号がついていて、それを履いていた記憶があります。

 

 私はあざや傷が身体にあって(親からの攻撃に耐えるためにの自傷行為も)、着替える時間に同じ部屋の子供から傷について心配されたり、そのグロテスクな傷を同じ部屋にいる小さい子どもの目に触れるのは大丈夫なのかと我ながら疑問に思いました。あとは、「死にたい」とぶつぶつ独り言を言う子もいて怖かったのを覚えています。

  菊)保護所には傷を負ってそのまま来る子は多くいるので、その傷がある程度癒えるまでは基本個別対応なんですよね。  

保)そうですね。まずは個別対応ですね。  

弥)そうだったんですか・・・私もそっちで保護されたかったなあ・・・。

  弥)個室っていうのはあったけど。いっぱいしゃべちゃう16歳の子が私語厳禁を破ってそういう部屋に入れられてたというのはある。「反省文を書かされるから、しゃべらないほうがいいよ」とその子から言われた。反省室のような個室だった。

  菊)反省室というのはありますか?

 

保)そうですね、うちでは静養室と呼んでいます。反省というか、コンディションがわるいと落ち着こうという部屋ですね。

 

弥)そちらの保護所ではしゃべられるんですか?  

保)私語厳禁というのは初めて聞きました。驚きですね。

 保護所のオリエンテーションはしますね。あと、自分がどうしてこういうところに来たのはお互い内緒というのは伝えさせてはもらってます。

  菊)あと、連絡先の交換はどこもなしですよね。  

弥)移動先の保護所では、ここであったことはしゃべるなというかん口令とか、脱走すると警察に通報するぞとか言われました。あと学校は無断欠席になる同意書みたいなものも書かされた。

  (一同:へぇぇそうだんだ)

 

保護所での一日の流れはどうでしたか?

弥)基本喋れないので、みんなを見て察しなきゃいけませんでした。今は歯ブラシの時間だとか。ごはんっぽかったら、無言で列になって、ご飯のところに連れて行かれて、ご飯も早い。ぼーっとしてると激怒される。どなられて、「なんであの子たちがやっているのに手伝わないのか」と言われました。  

 私は保護所に来て、”何か試されてる”と思いました。 家と同じくらいに怒号がとんでいて、どっちにいてもつらい。「どっちがひどいのか」と。
 家で知っている大人に怒鳴られるのと、一時保護所で知らない大人に怒鳴られるのはどっちがいいのか試されているのかと。

保)ん~。それが、全体の空気としてそうだったのか、一人の職員がそうだったのかがとても気になりますね。全体がそうならそれは許すまじきことだなと思います。二次虐待だなと。体の傷は消えるかもだけど、心の傷が癒せないなと。保護所もけして天国ではないけれど、地獄でもない。子どもたちは傷を負ってきている。ルールとかスケジュールも大事だけど、もっと大事なものがあるなと。

  菊)なかなか児童養護の領域に関わっている身であっても、一時保護所の中身についてなかなか知る機会は少ないですよね。保科さんは、他の保護所に行ったことはありますか?

  保)市内の児相はもちろんですが、A市の保護所(弥生さんのいたところ)は僕も見たことがあります。建物は古くて、くしゃみいびきがきこえて、夏は暑いし、冬は寒いから厳しいなという印象でした。でも、個別対応の職員は一生懸命関わっているなという印象だった。さっき弥生さんから聞いたことが、全体の風潮だったらゆるすまじと思います。

  弥)そうですね。A市の保護所の職員は割とおだやかでした、でも移動先は「ここは牢屋じゃないか」と思うくらい管理されて、何もしてないのに肩や手をつかまれて「化粧してないか」と突然捕まえられて顔をこすられたりどなられたりしました。  

菊)同じ場所であっても年代によって違う話かなと思うんですが。全体でそういうのか、ここの職員の対応なのかというところが一つポイントとして挙げられそうですね。

  保)ある地域の子がうちの管轄で警察経由で連れてこられたことがありました。その子はめちゃ金髪でした。最初は「絶対そんなところいかねえ」とその子は言ってたけど、説得してやっと夜連れて行ったんです。

 

 だけどその児相では「金髪では保護所いれない」と言われ、入れてもらうのに苦労しました。金髪は保護できないとは・・・。  

弥)命に危険があるから外傷あると判断されたら入れるはずなのに、髪の色が違うから入れないのは変ですね。

  菊)神奈川の政令市では独自で児相の在り方を展開していますので、ルールなども独自で割と融通がきくように思います。ある地域は全体でのルールでやっていて、変えたいと思ってもルールだからというのがどうしてもあるのでしょうね。県をまたいで地域間での移管や移送もありますから、大人間でルールや温度の相違があると子どもが一番苦労しますよね。  

そんな一時保護経験を経て、弥生さんは家に帰ることになりましたが、その経緯は?

弥)理由はいくつかあります。

 ◆一つは、勉強について

 

 私が一時保護所の生活のなかで、年齢にあった勉強もできない、百マス計算のドリルとか小学校くらいの漢字ドリルをやらされました。漢字の書き順が違うと怒号がとんで、百マス計算もきっとみんなに対応できないからやらされていたのだとおもう。  

 ◆二つ目は、高校のことが不安で。

 

 受験してやっと入った高校なのに、無断欠席で退学になるのが怖かった。親は中学生の頃に、私に高校は行かせず自衛隊に入れたいといっていた。お金が入るから家にお金を入れさせると。一時保護のせいで退学になったら…留年になったら…と不安だった。

 ◆三つ目は、児童養護施設の進学率です

 

 施設に行くと進学率も低く、一般家庭なら7割くらいで大学にいけるはずなのに(自分でインターネットで調べていた)、このまま行ったらどうなっちゃうんだろうって思ってました。

 

 これまでの児相の対応を体験してきて・・・ここに人生預けられないなと思いました。施設とか言われても、その先に明るい未来を描けなかったんですよね。(施設が場所によるけれども良い所と知ったのは20代になってから)

 

 泣いていたら「なんで泣いてるの、そんな時間じゃない、来たくて一時保護所に来てるんでしょ」と言われた。こんな状況だったら実家に帰って我慢した方が、自分の進路は邪魔されないんじゃないかと思った。

 そしたら保護所の人は、普通は帰りたいと言っても帰らさせられないけど、私が希望したので「いいよ」といいました。

 

 一方で実家では警察が父親ともめていて、まともな話になっていないという報告を受けていた。だから、私への対応がめんどくさくなったんじゃないかなと思った。

 

 親が次の日に呼ばれて、父親は「はい、ごめんなさい、これでいい?」と。

 

 腑に落ちなかったけれども、結局それで帰りました。一時保護所の職員は、この不毛なやりとりを聞いてクスクスわらっていました。

  保)それだけの記憶がはっきりしてるのは、とても悔しかったということですよね…。それが今のエネルギーになっているんだろうなと思いますが。

   一時保護所のお子さんは、児童福祉司が親や関係機関に話して、児童心理司は子どもと話して、一時保護所の職員さんが生活を見ているけど、そのお三方でどれだけ弥生さんを応援していこうという雰囲気だったのかは疑問ですね

   われわれ児相は、家族を切り離すのではなくて、家庭でやっていけるように支援していくので、3,4日でできる話ではない。弥生さんの場合はずいぶんは急な感じだなと。しっかり時間をかけてお話するようにしないと、ケアする担当職員には責任をもって誇りをもってやるべきだと思いますね。

  菊)三位一体のチームワークとは、福祉司・心理司・保護所職員といういわゆるその子の「担当」ということですよね。

  保)はい、そして、場合によってはドクターやナース、弁護士さん。一人のお子さんにとりまく応援団がいっぱいいて、色んな人の意見で「家でも大丈夫」と一致にするのが本来

  弥)ケアっていうのは・・・されてないと思った。  

菊)弥生さんは本当に珍しいと思います。保護されていた当時からインターネットで調べたりしていて、将来のことを考えていたのだなと思いました。このような子どもたちは実はたくさんいるのではないでしょうか。本当にこの思いが聴かれるようにしていきたいですよね。

  弥)県をまたいで一時保護所を見るとか、交流があっても良いんじゃないかなと思います。

   ある方が研修で「壁も畳も汚いボロボロの6畳くらいの部屋で、性的な被害も受けた子どももいるのに見ず知らずの子と同じ部屋で着替えすることや私語厳禁をはじめとした決まりの数々は、子ども達が安心することができる環境を用意していると思っているのか」と、児相側に質問したら、突然質問を打ち切りにされたと、そんなことを聞いたことがあります。

   もっと他の県の一時保護所を自由に見に行けるとか、良い所を取り入れたりし合っていけるようになればなと思った。

  菊)ぜひやってほしいですよね。他都市との関係はどうですか?  

保)神奈川県内の児相と所長会議とか一時保護所の職員の会議や意見交換の機会はありますが、他の都道府県とのパイプはなかなかないですね・・・。作っていくことが必要ですね

  菊)都市部は人口も子どもたちも多いわけで、モデルになっていくべきですよね。質問を打ち切られたという話がありましたが、児相は行政機関なので特有の権限があって、変に周りは歯向かえないものがありますよね。見えなくするのも簡単なこと。だから児相の機能を民間に委託することもいいのではという意見もあります。

   それに児童養護施設は自分からそこで働きたいと希望して働く人が多いですが、児相職員はそうとも限らないという人事異動システムの中にあります。

 

 定期的な異動がどうしても多い現状です。児相勤務を希望していてもそうならない時もあるし、逆に児相勤務を希望していなくてもそうなる時もあります。

 

 でも、子どもにとって児童相談所や一時保護所は人生を左右するほどの重要な分岐点なので、より虐待に特化した専門的な知識がある専門職でに固めていくのが理想だと思います。  

弥)児相は公務員試験受かって配属される場所だけど、うってかわって児童養護施設は民間でやっている所が多いそうで、やりたくてやっている人たちが多いと。子ども自身が「自分は大切にしてもらった」というようなほっこりした話も聞いたことあります。

 

 施設も保護所も同じようなものかと思ってたら違うんだなということは後から知りました。施設に行ってたらどうなってたのかな。

  これから、児相や一時保護所はどこを目指していくべきだと思いますか?

保)そうですね。法的対応とか、親御さんと対峙してということや、家裁の審判で親子分離という子もいて、児相も権限が着せられて、警察署や裁判所という位置づけになってないかなと自分の中で疑問があります。児相の役割があまりにも多すぎる。

  弥)相談所なのに、子どもが困ってるのに、もっと子どもを困らせてはいないだろうか

 

 卑屈かもしれないけれど。子どもたちが困っているときに、私たちが全部できるわけじゃないけど、力になるよという話をきくスタンスの職員が増えればいいなと思います。  

菊)今は、児相が「なんでも屋」になってしまっているんですよね。本来は相談に来た子どもに「今まで頑張ってきたね、ここは安心していいからね」と受け入れるようなケアに集中するべきところなんですよね。

  弥)ケアされたかったです…。ケアなんてされた記憶はないですし、むしろ傷ついきました…。  

 私は、性的な虐待とかもあって、それを児童福祉司に伝えると「やってみてよ」と再現されたことがあるんです。しかも笑われて、ということがあった。それを話したら、菊池さんは「それは虐待の再体験になるからやってはいけないこと」と言っていて、衝撃を受けた。私はいったい何のケアをされたんだろうと。研修に使われていたし。練習に使われていた。  

菊)専門的な人たちにケアされたかったなと思いますね。児相や保護所がそういったケアにに特化した場所になればなと思います。  

 

◆質疑応答

 

Q)1 家庭に戻った後のケア、戻るべきじゃないのに戻った子や、戻っても大丈夫だと思ったあとのケアについては、児相はどのように対応しているのですか?

 

弥)私の場合は、その後、全然児相からは連絡来ませんでした

 

 家に帰ったけれども、暴力とかは変わらないままでした。自分で困って児相に電話しても、「担当が違う」と「あなたの情報は違うから調べますね」と事務的対応をされました。名前と生年月日を教えると、「18歳近いんだね、おうちの人と話してね」と言われてしまいました。

   高校生になると向こうから来ることはほとんどないので、私からわざわざ行くと、「進学したいというのが贅沢。年齢的には自立できるんだからと、生きるのが優先でしょ。大学行きたいと思うこと自体がおかしい」と帰されました。

   19歳になっても親の愚痴を言っていましたが、「18歳過ぎたら公的支援は切れてるから、住まいの女性センター利用してください」と、たらいまわしにされました。  

 そして、開示請求書をしたのですがぬりつぶされている部分がほとんど。5年間関わりがありながら、兄弟の名前が間違っていました。そもそも児相の受付の人も開示請求のことすら知らない。2年くらい前から開示請求をやろうと思ったのに、「できないって言ってるでしょ!」と強く言われました。結局できたんですけど、真っ黒で、養子縁組を考えて家裁で使いたかったけど、虐待の証拠になるものがほとんど残ってなくて使い物にならなかった。開示請求の黒塗りの理由もコピペでほとんど同じ文章だった。プライバシーで見えませんということで。  

Q.2 帰宅後、親との関係性には変化はありましたか?

  弥)私が大きくなってきたこともあって、さすがに体に触ったら完全アウトだと父親も思ったのか、露骨なのは減りました。大きくなるにつれ暴力よりは、心理的なものや経済的な虐待にシフトしていきました。

   

◆参加者からの感想

 

<ユースA(児童養護施設出身・男性)>

   僕は児相から施設に行ったので家庭復帰はしなかったのですが、ひどい暴力だったので、帰っていたとすると怖いです。

 

 家庭に「帰す・帰さない」の判断基準って大事だけどあいまいだなと思った。  

 「家に帰りたい」っていう言葉の背景にあるものを良く考えることが大事だと思う。

 

 もし、一時保護所が子どもにとって不安な場所であったなら、「家の方がまし」と思って「家に帰りたい」と言うのかもしれない。子どもは施設や里親家庭に行ったことが無いんだから家に帰れない先に何があるのかとても不安だと思う。不安だから「家に帰りたい」というのも違うし。

 

 必ずしも子どもが帰りたいというから帰すというのが正しいとは思わない   

 僕は絶対に虐待されていることを人に言いませんでした。大人への不信感があったからだと思いますが。でも、明らかな外傷があったから保護されることになりました。

 

 僕の場合は自分からは絶対言わなかったけれど、客観的な判断によって結果虐待から守られました。だから、何が最善であるか、子どもには判断しきれないところを大人に手伝ってほしい

 

 その子にとって一生を左右する判断。事務的じゃなくて、本当にこの子に必要なものは何かって、向き合ってほしいなと思います。  

 

<施設職員>

 

 児相と里親家庭で育った人もいたので、施設の連携に課題があるんじゃないかという話をしました。課題は、里親の孤立・抱え込み、里親への支援が足りないということ。国は児相と里親に入るポジションが必要とは言われるけど、数も足りないし、里親からの児相への不満もあるし、預けた時点で手いっぱいでアフターフォローも難しい。コーディネーターがいないなという話でした。児相はやることいっぱいです。

 一時保護所の話。私はA県とB県で働きましたが、A県の方が手が足りていないなと感じます。福祉司の丁寧さ、訪問回数も違う。A県で働いていた時は、福祉司って冷たいなと思っていましたが、今関わりのあるB県の児相は何度も電話してくれたり、たくさん会いに来てくれるなと思います。現場の職員との距離が違う。  

<ユースB(児童養護施設出身・男性)>

 

 児相と一時保護所が一緒の所と、別の所があるのかと基本的なことを知れた。一時保護所を経由しないで施設に入る人もいるんだと初めて聞いた。  

 児相や保護所の職員は、何を糧にして働いているのかなと思いました。

 

 児童養護施設だったら子どもが大きくなっていくのを見届けられるけど、一時保護所だと、ケアだけではなく、行政対応、親子分離、裁判などの手続きなど目まぐるしい。どういったところをモチベーションとして働いているんだろうと思った。  

 僕は一時保護所にも行ったし、施設にも行った。施設の職員になりたいなと思ったことはあるけれけど、一時保護所の職員になりたいと思ったことはないなと思った。どうしたら人材を増やしていけるんだろうと思った。   保)多くの子どもたちにあってきたけれど、印象に残っているエピソードが。ある男の子が施設でうまくいかず、高校もうまくいかず、少年院にも行った。みんなから「帰ってくるな」といわれていた子もいたけど、僕はたまにラーメン一緒に食いながら安否確認していたんです。それで「保科さんなら信頼できる」と言われて、この気持ちは裏切れないなと思った。その子からは震災のときにすぐ連絡が来たんですよ。一番に僕のところに連絡をくれるなんて。嬉しかったですね。それが今のモチベーションかなと思います。

  菊)難しいからこそ築けた関係は尊いですよね。

  保)仕事じゃない部分も大切だなと思っています。相手もそう思っているはず。

  ユース)その人の唯一無二の存在になれることが、モチベーションなのかなと感じました。

 

<さいごに>

  弥)さいごに。私は都内の一時保護所で、お風呂が1週間に1回で大変だったという不適切対応だからクレームを言おうと思ったんです。でも児相のクレームも、一時保護所のクレームもできない。指摘したりする窓口という場所は設けられていないんです

  菊)行政であるからというのが、第3者の目が入りにくい理由の一つですよね。最近は、児相に第3者委員会が入っていますよね。

 

保)そうですね。といっても、半年に1回の監査なのでね。毎週でも入らないといけないところですが。

 

菊)そうですよね。その半年に一回にいた時に保護されている子の声しか聞けないということですよね。

 

 今日は、結論を出すというよりはみんなで知り・材料を集めようということを目的として行ってきました。このような対談の機会は貴重だったと思います。お二人とも、本当にありがとうございました!

 

 

◆司会:ワトソンより

 

 色んな声が挙がっていますが、共通しているのは誰がいけないということじゃなくて、児相と里親養護施設との連携、コミュニケーションがどのグループにも共通した単語キーワードでしたね。そこをどうつなげて、必要な支援をやっていくのかが課題だなと思いました。

 

 私も児童養護施設出身ですが、正直、児相と一時保護所の違い、児相が、〇〇センターとか家庭センターとかいろんな呼び方があるなんてことも初めて知りました

 

 それくらい当事者である私たちも自分たちの場所についてなかなか理解していないことがあると感じました。もっと僕らも児相のことを知って、お互いを理解して話していけたらよいと思います。

 

 本日はありがとうございました!

 

ーーーーーー

 

※ これはあくまでも一人の体験談であり、これがすべての児童相談所や一時保護所ではありません。すばらしい取り組み、子どものケアをされている場所もたくさんあります。目的は、その中でも隠れている声を届ける・そしてより良いことは何かを考えていくためにどのようなことができるかを考えていくことです。

 

 ご質問・ご意見・ご感想等ありましたらourvoiceourturnjapan@gmail.comまでお寄せください!

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